破調 山中節



破調 山中節★2007-10-29 (月)★
ホッピー神山、ARTの真髄!音と映像とダンスの饗宴



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『異界への扉』
大谷石蔵のギャラリー悠日2のACCELL CELL2という<場> には、DOOR作家小坂憲正氏の「創造の扉」展の作品群が展示されており、ACCELL CELL2 の空間全体が作品であるため、鑑賞者は一点一点の作品を「鑑賞」するというより、作品に全身を囲まれて空間全体を「体験」することになった。この異空間ともいえる<場>で5月13日(日)『堀江康子 和傘個展』幾何楽堂オープニングパーティーLIVE に引き続きの再演であったが、小坂DOOR ARTが展示されたCCELL CELL2の大谷石の壁面にはホッピー神山制作の映像が照射され、ヴィジュアル・エフェクトとピアノ・ソロとセンサーでピアノに呼応するシンセ(ムーグのピアノバー。生ピアノに置くだけで、演奏情報をMIDI信号に変換)によるサウンドとリズムのソリッドなグルーヴが絶妙にブレンド、めくるめく音と映像の中で溢れだすかのようなHIROKO DANCEが交感しあい、アヴァンギャルドなパフォーマンスが繰り広げられ、さらに二部では原ミドリの「破調 山中節」とのコラボレーションはヒートアップし、まさにインスタレーションアート(Installation art)と呼ぶに相応しい圧倒的なパフォーマンスとなった。


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― 破調 山中節組曲 ―

山中節はひとくちに「日本の民謡」としてくくられていますが、初めて山中節を聴いたとき、思わず懐かしさが込み上げてきました。この感情はなんなのだろうと自問した時、耐えて忍んで、また耐えた想いの深さと悲しさが胸を打ったのだと得心しました。詩の素晴らしさと、旋律の美しさは、世界中の恋歌と比べてもなんら遜色なく、むしろ日本人の「情の民族」としてのアイデンテイテイ、オリジナリテイを深く確認できました。

日本人の広報下手は政治の世界のみならず、現在に至ってやや減少されたとはいえ、未だ到来モノ信仰が支配しております。そろそろ日本の誇れるものを声を大にして、アッピールしてもいいのではないだろうか。という強い思いにかられました。が三人のアーテイストが出会ったことにより「山中節組曲」が誕生しました。じっくりと時間をかけて一回一回に集中し完成形を目指す、というスタイルをとりながら一期一会の「破調山中節組曲」です。

唄は、原みどり。自作を唄うシンガーソングライターであり、ジャズからポップス、古い日本の歌謡曲まで。彼女の心に響いた唄をうたう宇都宮出身の歌姫です。

ピアノは、ホッピー神山。スタンウェイの中にシンセサイザーを組み込み、アナログの音。デジタルの音。双方を一台のピアノで演奏してしまう稀有な天才。
その音色は、透明で力強く、誰の真似でもないオリジナルなインプロヴィゼーション(即興)の世界です。

その音楽に合わせて、言霊が体に乗り移る踊り―いわゆる従来のダンスとは異質な、肉体を通して人間の存在を問いかける舞踏家・霧子。生と死へのオマージュを淡々と踊る霧子。70歳でデビューした世界的舞踏家・大野一雄氏について15年。「破調 山中節組曲」で新境地を拓きます。

第二部はホッピー神山と、霧子のインスタレーション。彼の映像を取り入れた全く新しいアートジャンルを展開いたします。

皆様とこの興奮を分かち合いたくご案内申し上げます。
                              坂田甚内


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大石宏子

アメリカ滞在中に玉野黄市と出会い舞踏を学び公演に出演。
その後、大野一雄・慶人に師事。共に世界各国を回る。
その他、いろいろな舞踏家の公演に出演する。
そこにいる人達、自然、音楽とのエネルギーの共感を得ながら
あるがまま魂のおもむくままに踊りつづける。

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<二部>

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原ミドリ

Spank Happy、原緑/*come(ハラミドリスラッシュカムカム)、 吉祥寺三姉妹、原ミドリ&チャンチキズ などで活躍の +midorihaus+ 姫!

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ホッピー神山(Hoppy KAMIYAMA)Producer, Keyboardist, composer

 ホッピー神山=国際的な視野をもって多面的な活動を続けるミュージシャン。1983年に、80年代を代表するスーパー・バンドPINKを結成。6枚のアルバムを発表し、ロンドンを含めて何回ものツアーを成功させた。同時に、大沢誉志幸など多くのミュージシャンのプロデュースでも大きな評価を受け80年代を代表する音楽プロデューサー、キーボーディストとしての評判を確立している。90年代にはいると、BUGS,OPTICAL 8など数々のユニットで、その多彩な音楽性を発揮。1991年 初のソロアルバム『音楽王』を発表。1992年 単身NYに渡り、2ndアルバム『音楽王・2』を完成させる。

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プロデューサー・ミュージシャン ホッピー神山
「日本人っていうものがすごく素晴らしくて、日本人の音楽が良くて、日本人が良いんだよって事を感じてない日本人が多いんですよ。だからそういう事を自覚する為にも日本って良いねっていう事を海外の人間にはわかってもらって、なおかつそういう日本の文化が向こうに流れる事によって我々がもっと自信を持つ事を私はしたいんです。
~ そこでは確信犯ですから、やっぱり日本っていうもののそういう意味での愛国心っていうのは特に海外にいると日本っていうものがもっとちゃんとしてなきゃいけない。本当は日本人っていうのはもっと優秀で良いのに、なんであんなに情けないのかっていう気持ちになっちゃうのは、私はすごく悲しいんですよ。すごく弱気でね、NOと言えない民族ですから。世界で一番日本人が情けないですよね。我々のコミュニティーが海外にないって事もありますし、日本人として協力しあえる事がいっぱいあるのに、日本人としてのコミュニティーが作れない。チャイニーズにはチャイナタウンがあったりとかみんなあるのに、日本人としては何もないんです。だから海外では弱い。ただジャパン・マネーが欲しいだけの日本であって。だから私のお金がないところでの逆襲は文化で逆襲していくっていうか、それで彼らを洗脳したところで征服していくっていうか、それが一番自分としてはロックだけじゃなくすべての文化的なところでやっていきたいです。 」

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